• 小野田 孝

番外編 五輪で考える日本のリポジショニング

更新日:7月11日


五輪で考える日本のリポジショニング


 今回は、「日本をリポジショニングする」というシリーズをいったんお休みして、間近に迫った東京五輪・パラリンピックについて考える番外編をお届けします。東京五輪をめぐるさまざまな動きを通して、日本が世界の中で「リポジショニング」する必要性を強く感じた方は多いのではないでしょうか。その意味では番外編とはいえ、今回も共通のテーマが根底にあります。

(写真)東京五輪・パラリンピックの主会場となる国立競技場

 

■IOCとのパワーバランス


 さて、近代五輪の歴史を改めて棚卸ししてみると、五輪、というよりもスポーツそのものは、かつては欧州貴族のお祭りという要素を強く持っていたことが分かります。近代五輪の第1回夏季大会は1896年にギリシャのアテネで開催されました。この時運営を担った最初のオリンピック委員会について、現在の国際オリンピック委員会(IOC)自身が1994年に発行した「国際オリンピック委員会の百年」に、こう記しています。


「委員会の最初の13人のメンバーは有閑階級の人々である。中産階級、上層中産階級、貴族の軍人、金持ちの商人、そして外交官。(中略)彼らは例外なく高度の教育を受けており、西欧のギリシャ・ラテン文化の道徳的優越性の規範について暗黙の了解があった」(I、P53)。記述はさらに、こう続きます。「彼らが永遠のギリシャの心酔者であることが、ともすれば、彼らがこの世紀の上層ブルジョアのメンバーであり、下層階級の貧困や迫りくる国際的危機の危険を知っていたことを覆い隠してしまう。揺籃期の近代スポーツの理論家であり、実践家である彼らにとって、スポーツとその精髄であるオリンピズムは階級紛争を減らし、国家間の緊張を緩和するものであった」(同)


 現在のIOC理事会は、ドイツのトーマス・バッハ会長をはじめとする15名で構成され、中国、シンガポール、フィリピン、ジンバブエ、ヨルダン、モロッコ、アルゼンチンなど欧州諸国以外の理事も含まれていますが、歴代会長9人は、ギリシャ、フランス、ベルギー、スウェーデン、アメリカ、アイルランド、スペイン、ベルギー、ドイツとなっており、全てが欧米諸国の出身者です。


 一方で開催国に視点を移して論じると、五輪・パラリンピックの開催地決定は立候補制となっています。五輪を開催することは、国威発揚あるいは経済浮揚などで高い効果が期待されるからです。日本の場合もそうです。1964年の東京五輪は、戦後復興の姿を世界に示し、経済成長への弾みをつけることが目的であり、今回の東京五輪は、東日本大震災からの「復興五輪」とすることがテーマです。したがって、おそらくIOC側の理屈は、「2020東京五輪は、日本がやらせてくれ、と頼んできた案件。IOC側の条件もすべて飲み込んだうえで、それでも開催したい、といったのは日本」と、なります。


 昨今の日本国内の報道では、IOC側の出すさまざまな条件や物言いが「厳しい」とか「国民感情を無視している」と受け止められがちですが、IOC側の理屈に添えば、五輪そのものは、日本政府とか、東京都知事とか、大会組織委員会とか、五輪相とか、ましてや開催国の国民が開催決定後に是々非々を論じるものではない、ということでしょう。IOCの意向に添うように粛々と進めることが、IOCが前提とする開催国の義務なのです。五者会議は、そのパワーバランスの確認の場に過ぎず、つまりは、五輪は欧州有閑階級のお祭りから、根本的には変化していないのです。


 ところで、報道も国民も、五輪開催が国家の安全保障や国民生活に負の影響を与えないうちは好意的でしたが、不幸にもコロナ禍における安全保障や、国民の生命や健康の維持に不安がある状況下では、今更ながらではありますが、五輪開催の大いなる矛盾が露見しました。


 少し前になりますが、2017年の日経新聞の記事によりますと、IOCは2017年、東京大会(2020年)の次のパリ大会(2024年)とロサンゼルス大会(2028年)の開催を決定しました。開催地を2カ所同時に決めるというのは実に96年ぶりだったそうです。その背景は、立候補都市の減少や、誘致レースからの途中離脱都市の増加です。同記事によりますと、24年の大会開催地にはパリ、ロサンゼルスのほかに、ブタペスト、ハンブルグ、ローマの3都市が立候補していたのですが、この3都市が辞退をしてしまい、残ったパリとロサンゼルスに2回分の開催地を割り振った、ということでした。「辞退されないうちに、今のうちに決めてしまおう」ということです。辞退の主な理由は、招致費用の増大です。つまり、膨大なお金をかけて開催する意味があるのか、ということを各国が考え始めたということです。IOCとのパワーバランスを飲み込みながらの開催意義に疑問を持つ国々が、新型コロナのパンデミック以前にも、世界中にたくさんあったということです。


 ところでこのパワーバランスの呪縛に苦しむ私たちにとって大事なことは、独立国家としての意思を、プライドを持って世界に発信することです。例えば、日本の運営側は観客数について「上限1万人」と決めましたが、6月21日の記者会見では「大会運営に関係する人たちは主催者で、1万人に含まれない」と定義しました。感染症の専門家が無観客を推奨したことを否定するどころか、上限1万人に特別ルールを設けるという理解し難い例外を設定してしまったのです。また、開会式は、国内の密を避け、公共交通機関が比較的自由に選択できる日中を選ぶべきところ、時差のある欧米諸国の放映時刻に合わせて夜に行うという設定もしてしまっています。五輪というコミュニティにおいての日本は、アジアの小国に過ぎないかもしれませんが、独立国という大前提に立てば、「海外からの圧力に屈しやすい国」という誤ったメッセージを送ったことになるのです。


■中国という存在


 少し角度を変えて、2022年の冬季五輪が開かれる中国とIOCの関係について考えてみます。当然ですが中国はすでに冬季五輪の準備を始めています。そしてIOCは北京冬季五輪大会の成功を確信しているようにみえます。中国は習近平国家主席という指導者のもと、レポートラインと指示命令系統が極めて分かりやすい統治体制を構築しています。14億人という人口規模、コロナ禍にあってもプラス成長する経済力、文明を生み出した長い歴史。IOCは、現在の中国にダイナミックで圧倒的なオーラを感じ、「あなどれない」と考えていることでしょう。中国をマウントするよりは、共存する方が得策であるという計算が当然働き、一定の敬意を払って今後も準備を進めていくものと思われます。


 この事実を「IOCのソロバン勘定」と嘲笑するのではなく、日本としては深刻に受け止める必要があります。中国は間違いなくアジアの大国であり、米国をもってしても単独で対抗することができない存在になりつつあります。6月にイギリスで開かれたG7サミット(主要7か国首脳会議)では、中国の経済圏構想である「一帯一路」に対抗するため、7か国が協力して世界の発展途上国のインフラ整備を支援する新たな構想「Build Back Better World (B3W)」を立ち上げることを決めました。米国を中心に世界の「主要7か国」が束になって、中国一国に対抗しようとしているのです。この様子を見て中国のメディアは、「ネット上ではG7は失敗者連盟といわれている」などと報道しています。


 米国は、バイデン政権になって初めての米中高官協議をアラスカ州で開きました。新政権下での雪解けを期待した中国に対し、バイデン政権はより強硬な姿勢を示しました。このころはまだ、米国は中国と一対一であれば「マウント」できる状態にありました。今でも自国領域内ではそれが可能かもしれませんが、チャイナパワーの影響範囲は米国から遠く離れた東・中央・西アジアにどんどん広がり、欧州でもイタリアやドイツなどとの経済を軸にした友好関係が構築されています。対して、中国への影響力を維持するために米国は、さまざまな手を打っています。米国、日本、豪州、インドによる「日米豪印戦略対話・クアッド(Quad)」の枠組み、前述のBuild Back Better Worldなど。地政学的に中国と離れているという焦りが色濃くなる中で、米国は新たな枠組みや構想で自らの存在感を維持しようと必死です。この枠組みの中で、日本はどのようなポジションを覚悟を持ってとるのかについて、真剣に考える重大な局面がやってきました。



■大谷選手はなぜ愛されるのか


 ここまで五輪を題材に日本のリポジショニングについて考えてきました。根底にある問題は、「わが国は独立国としての自覚と覚悟を持った世界へのメッセージの発信が弱い」と、いうことです。原因は主に3つでしょう。①外交を米国の指示下や影響下で行うという慣例が、自国で考える機能を弱めてきた。②諸国に対して優位性を持てていた経済の領域が衰退することによって、欧米諸国に対等に向き合える術を失ったと思い、体形もそれほど大きくなく、英語が苦手という深層心理にあったコンプレックスの台頭により、言動が委縮してきた。③地政学的に孤立しがちな極東の島国という条件に加えて、先の大戦以降の歴史的にも近隣諸国と政官民を挙げての真の友好関係を築くことを怠ってきたために、諸国との対等な付き合い方がわからない。


 もしこのまま、国家の主体性が薄れ、世界と対等に渡り合う為政者が不在であり続けるならば、まもなく訪れるさまざまな危機を乗り越えられない可能性が大きいといえます。たとえば台湾海峡の有事。2022年2月に開催される北京冬季五輪後に、中国の人民解放軍が本格的に台湾海峡での活動を活発化させる可能性は大きいのです。その時、日本国内の米軍基地から行動する米軍に対して、自衛隊あるいは国民はどのようなスタンスで支援あるいは協力あるいは無視をするのか。何の予行訓練もしていないので「その時」がきたら混乱します。近い将来、高い確率で首都圏などを襲うといわれている直下型地震や東南海地震がもたらす甚大な被害への対応も、首都移転などの根本的な対策が講じられていないために「その時」がきたら混乱します。ほかにも、ジャーナルで数度にわたってメッセージをしてきた、食料やエネルギーの安全保障、財政不均衡による為替や国債価格のボラティリティ(変動)への対応など。「その時」が来るまで先送りしている課題が数多くあります。このようなきわめて難しい時代に生を受けた私たちは、「リーダーがいない国家で生きている」ということを肝に銘じた上で、自身と家族と周囲の人たちの安全保障を自らの力で確保していかねばならないのです。それが2020年代以降の日本人の現実なのでしょう。


 とはいえ、我々には生きていく術や諸国に発信していくメッセージの「タネ」がなくなったのかというと、私はそうではないと思っています。「リポジショニング」というテーマに戻すと、我々日本人には、世界の人々に愛され、敬意を持たれ、信頼を寄せられるコンテンツや行動原理や倫理観が十二分にあります。米大リーグの大谷翔平選手(26)は、成績もさることながら、その立ち居振る舞いや言動で多くの欧米人の心をつかみました。「宇宙人」とまで呼ばれ、驚きをもって称賛されています。笑顔、周囲に対する思いやり、仲間に対する敬意の払い方、公平公正さなどが多くの共感を呼んでいるのだと思います。これは彼のみならず、我々日本人が兼ね備えている共通の資質ではないでしょうか。この資質を基盤に、実直な勤勉さや旺盛な探求心をエネルギーに、これまで積み重ねてきた産業や企業や事業の価値の源泉を基点にした未来ビジョンを描くならば、日本は、世界できわめてユニークなポジションを獲得し続けていくことができると私は信じています。


 日本が、「経済大国」でも「軍事大国」でも「領土の広さ」でも「人口の多さ」でもなく、全く新しい価値基準で「大国」と呼ばれる日は来るのでしょうか。我々は難しい時代に生を受けた、と書きましたが、裏を返せば21世紀の国づくりに向けて新たなコンセプトを考えていくという楽しいフェーズにいるのではないか、と思います。

 リポジションニングジャパン。ご一緒に考えていきませんか?


<筆者プロフィル>

小野田孝 ONODA TAKASHI

1959年横浜市生まれ。横浜国立大学経営学部卒。1983年株式会社リクルート(現リクルートホールディングス)入社。HRM領域やダイレクトマーケティング領域に関する民間企業の課題解決支援を担う。2005年に独立、現在は株式会社小野田コミュニケーションデザイン事務所 代表取締役。企業の事業価値向上を支える変革組織と変革人材に関するコンサルティングサービスを提供している。

※「オノコミ・ジャーナル~衰退局面の日本を反転させる処方箋」は、毎月12日、28日に更新します。



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